九龍:ボクがいつも思うのはそういったアーティストたちと、例えばRADWIMPSとかSEKAI NO OWARIとか、『ロッキング・オン』系の雑誌の取り上げられるようなアーティストってパイのケタが違うじゃない?でもやっていることがそこまでちがうのかどうか、ってことなんだよね。磯部:そこまでちがうも何も、インディの方が明らかにおもしろいと思うけど。九龍:いや、そうかもしれないけど、さっき言ったような「カリスマを見に行く」という構図を作るかどうか。そこに行かずにどこまで自分たちの音楽の受け取り手を増やせるか、ということがずっと気になっていて。ceroはひとつの指標だよね。彼らがどこまで行けるのか。(中略)磯部:まぁ、90年代後半のミスチルとかスピッツみたいな売れてるバンドと、サニーデイとかGREAT3みたいな通に受けるバンドが、それぞれ、ゼロの数をひとつずつ減らした感じじゃない?九龍:たしかに構造としてはそうかもね。いまゆるメインストリームもケタをひとつ下げている。大森靖子がメジャー・デビューを発表したけど、大森さん自身も、「じゃあ、レコード会社がどこまでおもしろい動きをしてくれるのか?」っていうのをかなりシビアに見ているのが頼もしかったね。(p.206、第四章/cero以降)
九龍:前野健太が、タワレコの「NO MUSIC, NO LIFE」のポスターに出た時に「今がどういう時代か、というのが分かっていたら、『歌』は答え合わせになってしまう」っていうキャッチをつけてたんだけど、まさにその通りで。(中略)リスナーの誰もが楽理の理解に走る必要はないし、その逆にマーケティングに行く必要もない。それぞれの文脈に即して楽しめばいいんだと思う。磯部:前の章でも話したように、最近の音楽批評ではポピュラーなのものに現代性を見出す語り方が主流になっていると思うし、一方で、インディ・ミュージックがテレビ番組やお笑いみたいなエンターテイメントをイミテートしているところも何か引っかかるんだよな。当人がその可能性を自覚していないっていうか、「アンダーグラウンド」って言うと、すぐ、「現代の文化はタコツボかつ水平な構造であって、”メジャー/マイナー”みないな上下構造は存在しない」みたいなことを言い出すひとがいるんだけど、アリーヤがシー・パンクをパクったり、モーニング娘。がブロー・ステップを導入したり、新しいものを生み出す実験の場として「アンダーグラウンド」が機能しているのもたしかで、実際、こんなにも日々、マイナーで新しい音楽が生み出されている時代もなかったと思うよ。(中略)九龍:そんななかでも、もっとミクロな、自分にとってしっくりくるような感覚で音楽とつき合えばいいと思うんだよね。(p.202、第四章/「文脈読み」で窒息する前に)
磯部:<RAW LIFE>は主催(主宰?)の浜田淳さんが、BetaLandがやっていたようなDIY・パーティのエッセンスを、ロック・フェスに注入したようなところがあって、じつは当時はちょっと薄いと思っていたんだけど、今振り返ると本格的なドロップアウターや不良だけじゃなくて、普通の音楽ファンも出入りしていたのとこがおもしろいかな。九龍:<フジサンロクフェス>もまさにそんな感じだったよね。磯部:cero『My Lost City』(2012年)のジャケットの写真も手がけている鈴木竜一朗くんが、富士山の麓にある実家の庭で開催したフェスね。cero、片思い、表現、NRQなんかが出ていたんだけど、客はそれぞれのバンドの友達が集まっていて、初対面のひともどこかでつながっていて。その内輪なんだけど開いてる感じがよかった。九龍:コンセプトは「クロープン」。クローズだけどオープンっていう。磯部:みんなでライヴを観て、カレーをつくって、雑魚寝して。九龍:その場で即興的にいろんなユニットも生まれてね。わざわざユニットという言い方もする必要がないという。それこそ「音遊び」だった。(p.105、第二章/なぜ音楽のなかで社会について語ろうとするのか)
磯部:ここ数年の日本のインディ・ミュージックを考える上で、「シティ・ポップ」というトピックがひとつの大きなものとしてあるよね。ただ、それはいわゆる「シティ・ポップ・リヴァイヴァル」みたいな無邪気な時期をとっくに終えていて……。たとえば、ceroは2012年10月にリリースしたアルバム『My Lost City』――そのタイトルからして意味深長だけれど――の最後の曲「わたしのすがた」で「シティ・ポップが鳴らすその空虚、フィクションの在り方を変えてもいいだろ」と歌い、シティ・ポップの本質を看破した上で、それを時代に合わせてヴァージョン・アップさせることをはっきりと宣言していた。九龍:当初は、彼らにどこか70年代のティン・パン・アレーだったり、はちみつぱいだったりの空気を感じていたけど、そうした参照軸を成り立たせる無時間性への違和感やいらだちを、「わたしのすがた」からは感じたよね。(p.180、第四章/シティ・ポップ・ブームの多層性)
インターネット・レーベルであるtomadのマルチネレコーズが渋谷WWWや恵比寿LIQUIDROOMでイベントを組んでいたりしたのは、これもkooreruongakuつながりの あたまがぐあんぐあん というVJを経由して知ったイベント<秋葉原三丁目>とか、あたし自身行ったことは無いし詳しくもないのだけど、ネットからリアルへの流れの中で語れるのではないかとおもう。そういえば例のマルチネ<東京>の bo en とか MEISHI SMILE のステージはどんなだったのだろうか?