2014/01/09

vaporwave » Perfume » PERFECT BLUE » ULTRA BLUE » (((さらうんど))) » 夢眠ねむ

タイトルのような変遷をたどったことの記録。

先日ようやっと紅白のPerfumeをYouTubeでみました。
Rhizomatiksがプロジェクションマッピングをやるっていうので見たかったやつです。
そのうちなんでもYoutuTubeにあがるでしょうと思っていたら、もうだいぶ前にアップされていたようで、さっそく拝見させていただきました。アップされ消されの繰り返しなんでしょうか、おつかれさまです。
こちらの記事によりますと「赤外線カメラと距離計測カメラを用いて身体の動きをリアルタイムで解析し、動きに合わせて映像がはみ出ないように調整」しているそうで、まったく驚きです。
VJっていうのはホント面白いですよね、リアルタイムで映像をつくっちゃったりミックスしちゃうんですから、プログラミングにしろ、手動にしろ、もうあれはライヴで!ギグで!生で体感したらやっぱりとんでもないもんだと思います。VJ、視覚関係は今年ももっと盛り上がっていくんでしょう。楽しみです。フジロック人間としてはソナーとかだけじゃなくて、フジでもなんかこうでっかい仕掛けの新しいものをどーんと見てみたいとも思う。いや、でもフジがあればいいです。

そして今敏監督の映画「PERFECT BLUE」をすごい久しぶりに観ました。
この人の映画は「千年女優」を観たのが最初で、その時は妙にハマっていたらしく、公開初日の初回に先着でもらえるセル画を目当てに朝も早くからひとり映画館に並んだのを覚えております。全館合計2000枚くらいだったそうだけど、ウチの館は何枚だったんだろうか。前売り券二枚買って二枚分もらったような気もする。前にカードキャプターさくらの特典ポスターをふとんの下に敷いて伸ばしていたら寝汗でダメにしちゃったけど、セル画は今でも大切に保管してある。、はず。
その時に観て思った事は忘れてしまったけど、今でも好きですこの人の作品。「東京ゴッドファーザーズ」も劇場で観たな。映画館で観たいですね、映画。

そんな浅はかなオタクのセル画自慢は置いといて、なんでまた観てみようかと思った動機ですが。
このところあたしがお熱なvaporwave漁り、それに不随してYouTubeやらなんやら見てるとぽつぽつと目にしていたパーフェクトブルーネタ、それと12/30に書いたHi-Hi-Whoopeeのユーストの中でPerfumeについて話してたことがちょっと気になってたっていうのがあります。「PERFECT BLUE」は三人組女性アイドルから一人が女優転向の為に脱退するところから物語がはじまります。ネタポロリもあるので、この映画観てない方はご注意ください。

そして何よりアイドル「でんぱ組.inc」夢眠ねむのインタビューを読んだのが、これを書こうと思った決め手ね。これはタイトル通り直近でたどり着いた先(←いまここ)ってやつです。これはもう古いんですかね?(←イモここ)

タンブラーでどんぶらこどんぶらこ(本来は桃が川上から流されてきた場合にしか使われない日本語特有の擬音らしい)と流れてきたちょうど一年前のインタビュー記事で、引用元の記事の本物は有料登録しないと見れないものらしいのですが、これがタンブラーの素敵なところといいましょうか。(追記:あとから気づいたらtofubeatsのポストだった。)
「覚悟を決めて夢眠ねむと向き合おう」夢眠ねむ|でんぱ組.inc|生きる場所なんてどこにもなかった―

でんぱ組も夢眠ねむも最上もがもホントに名前しか知らない程度なので恐縮なんですが、すごくいいインタビューでこれをを読んでもらうと話が早いじゃないかと思いまして長いですが是非。「アイドル」ということばを知っている人なら読んで損ないですし、もちろんアイドルは関係なくても面白いと思います。なんか見たことあるような、と思っていたら一連の大森靖子ちゃんからの流れでした。

ちょっと一節引用して、

学校に馴染めない私は趣味で音楽を作っていました。テーマは人間の二面性。私と私の中のもう一人の私がどうやって切り替わるのか、どうやって共存するのか。そんな曲を作っていました。表現したい自分と、何もできない無力な自分。それを埋めるのが、「夢眠ねむ」というもう一人の自分でした。

わたしがパーフェクトブルーを観ておもったことと、最近別で考えていたことと、現在進行形のアイドルカルチャーとが見事に噛み合った気がしました。僭越ながら。
三次元のアイドルに一度もハマったことの無いあたしが、アイドルカルチャーみたいなものを論ずるなんてとてもじゃないですが、論点は「アイドル」より「人間の二面性(多面性)」「理想の自分と現実の自分」みたいなもので、まさにこの現役バリバリのアイドル夢眠ねむさんのインタビューをもって全部ひっくるめたオチになった!!という感じでございました。

映画の中で鏡の中やいたるところに「自分じゃない自分」が出てきて、主人公みまりんに限らずマネージャーのルミちゃんしかり、他の俳優などしかり、それは映画のかなり重要な要素であるわけです。そんなことを最近鏡を見ながら考えていたわたしにしたら、ここでこのインタビューは目からウロコだったわけですね。

この映画はまだインターネットなんて一般家庭にほとんど普及していなかった1998年の公開で、ストーリーを乱暴に説明すると、一人のかわいい娘さんがアイドルから女優に転向していくなかで、ストーカーやらマネージャーやらと一緒に狂っていっちゃう話だと思ってます。当時知らなかったけど国内R-15だったのね、海外18禁って、すごいわね。田舎から芸能界に憧れて東京に出てきて、理想と現実の狭間でストーキングされ羨望や焦燥や重圧とかのカオスにいた娘さんが、レイプされての解離性同一性障害の殺人者になっちゃうという何度も見たことあるような設定の劇中ドラマを撮影して行く中で夢と現実がわからなくなってきてしまい、現実で人まで惨殺されちゃうけど、結局誰も殺していない霧越未麻は、なにかでっかいことをを決断したり乗り越えたりして大女優になりつつあります。「私は本物だよ」とだけ残して。

アイドル・インターネット共に大きく盛り上がっている今ここで見て面白いと思ったわけです。前と全く印象が違った。

宇多田ヒカルの「ULTRA BLUE」はまさに「PERFECT BLUE」のタイトルからの単純な思いつきで聴いたら、なんやなんやすごいぞってなりました。
「Keep Tryin'」いいなあなんて言いてってたら


誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ みんなの願いは同時には叶わない

青い空が見えぬなら青い傘広げて いいじゃないか キャンバスは君のもの
もう自分には夢のない絵しか描けないというなら 塗り潰してよ キャンバスを何度でも

みんなのウィキペディアを見てみますと、この頃は内面的に病んでたそうですが、一曲以外は12曲全て作詞作曲編曲にプログラミングまで一人って、ひえ〜〜〜UTADA。

今まで彼女自身、自分を隠そう、他人に自分を見せないようにしようという気持ちが強く、作品にも表れていたというが、今回は初めて自分を見せよう、自分の良い部分も悪い部分も全て認め、表現することが出来たと語っている。(wiki)

こんなのが、パーフェクトブルーの後にやってきて、このあとに読むことになる件の夢眠ねむインタビューにも繋がってくるわけですね。

宇多田ヒカル本人がアルバムタイトルについて語る「『ULTRA BLUE』ってよいタイトルだと思う。BLUEが持つイメージをそのまま特定していないから」っていうのを当てはめても、パーフェクト・ブルーなんてそのままもう、完璧なBLUE。
これがBLUEというものです!みたいな感じで、もう決めつけられたものというか。
こうあるべき、こうじゃなきゃいけない、みたいな固定概念といいましょうか。
映画の中でストーカーがアイドルに持っていたのもこういう類いの感情で、それがエスカレートして狂ってしまった。マネージャーは若かったころアイドルとしての夢を果たせなかった自分の姿を主人公に投影して狂っていってしまった。んじゃないかと思っています。

「BLUEのなにか」なのか「BLUEそのもの」なのかっていうのはこの際どうでもいい気する。RED でも APPLEでも。ふじでもサンつがるでも。
例えばBLUE SKYだっら(((さらうんど)))のきみはNew Ageのラストなんて飛行機と雲があっての青空が完璧だったってことでしょ、この場合。
何ひとつ視界には無い真っ青な空が完璧の青空なのかと言われたらその時次第といいますか。




鏡を見て「本当の自分」とか考えて悶々とするのもいいかもしれないけど、
今こうやってインターネットもどんどん新しい可能性を持ってきて、なりたい自分がいてもいなくても、鏡の中の自分=見られる側の自分になることに関してのハードルは決して高くない。この映画みた後はアイドルにはないりたくないと思ったけど。。

それでもちょっと踏み切れば自分から簡単に発信できたり、あわよくばそこに新しいコミュニティができあがったり。
「きみもNew Age」「だれでもきみはNew Age」っていうのが始まっているのね、きっと。

賛否両論あるんでしょうけど、このいわゆる「オタク文化」の浸透だって、メインストリーム以外でも堂々と胸張って(とまではいかなくても)自分の好きな事がやりやすい環境に、受け入れてくれる環境がそれぞれあるんじゃないのかと思ったわけです。何事に関しても。
これを読み返した数年後の自分は何を思うのだろうか「だから言ったのに」とかだったら、、、。そしてこれはまさにオタクがリアルに出てきたでんぱ組.incのことでは、、。

靖子ちゃんが出てきて、アイドルと一緒にやってるのをみても、今は納得できる。
「大森靖子」を一度もアイドルと思ったことがないから、最初は不思議だったけど。

最終的にこんなまとめになっちゃったけど、映画見る前に考えてたのはそれはそれでやっぱりちょっと恥ずかしいもんで、あたしとて日常生活でずーっと鏡なんて見てたらおかしくなっちゃうんじゃないかって感じだからあんまりしないけど、変な動きしてみたり、喋りかけたり、それをたのしいっていう感覚はもちろんあるし、自分の創りだした想像上のキャラクターを見て面白がっているというか。自分ではなくて、これこれこういう人だと考えるんだけど、詰まるところ「あなた、誰なの?」ってなるのよね。
そういったところの個人差みたいなことで、女優とかいわゆる芸能人とか自ら自分の姿を日常生活でいつも目にするような人たちとは「自分の中での自分」の認識具合がいろいろ違うんだろうなと思った。もちろん化粧とかするひとは鏡の中の自分は割りと見慣れたものなんだろうし。そういう広い意味でのアイデンティティ(!)というかエゴ(!)みたいな。

結局こんな終わりになってしまった。
弱ってる時に聴くアイドルソングは本当に麻薬なんでしょうか?

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